July 30, 2009

三内丸山遺跡


青森で一番感銘が深かったのは、三内丸山遺跡です。ご承知でしょうが、日本国内の縄文時代の遺跡で最大のものです。弥生時代の遺跡の最大が吉野ヶ里とすれば、それに十二分に対抗できるのがここ三内丸山です。



住居は竪穴式が多かったようですが、既に高床式の倉庫が建てられていたようです。ここは縄文中期の遺跡で、稲作こそまだですが、クリやエゴマやヒエなど、既に農耕が行われ、収穫物が貯蔵されていたのだろう、ということです。





ここの象徴的なものが、この六本柱の建造物です。上の写真は想像で再現したもの。下の写真は実際に発見された基礎となる穴と、その中に腐らずに残っていたクリの木による基礎柱の一部です。
再現物は非常に中途半端ですが、注目すべきは6本柱が中心に向かって傾いているということです。私の想像では、ここは古代の出雲大社のような神殿があったのではないかと思います。縄文時代が採集と移動生活の時代であったという通俗概念を吹き飛ばす発見でした。



土偶も多く出土しているようですが、多くがこの土偶のように胴体と首が切り離されて、別々の場所に埋められているそうです。おそらく悪霊の呪力を封じようとしたのでしょうね。顔つきがムンクの「叫び」のようです。



そして驚くのが発掘された土器の数。全体のまだ17%ぐらいしか発掘されていないにも関わらず、発掘された土器は何と4万ということです。人口は推定で平均200人、最大で500人だということですが、そんな人口でそれだけの土器を作るというのはちょっと考えにくいことです。もしかするとここは土器の工房のような村だったのかもしれません。



最後はこの道路です。この道路は現代になって新しく作った道ではなく、舗装はやり直していますが、この下に縄文時代に同じ幅の道があったんだそうです。ますます、何かを大量に輸送する必要があったのではないかと想像をたくましくしています。

大学時代、考古学を少しかじったせいもあって、私には非常に興味深い場所でした。ボランティアのガイドの方の説明も有用でした。

Posted by tmaru at 07:31 pm | from category: Travel
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