西郷隆盛に與へて降服を勧む



 
 
 
 
 
 

山縣 有朋氏
 
  山縣有朋頓首再拝(とんしゅさいはい)、謹んで書を西郷隆盛君の幕下(ばくか)に呈す。有朋、君と相識(あひし)るここに年あり。君の心事(しんじ)を知るまた甚だ深し。曩(さき)に君の故山に帰養(きよう)せしより、久しくその謦咳(けいがい)に接することを得ざりしかど、舊雨(きうう)の感(かん)豈(あに)一日も有朋の懐(くゎい)に往来せざらんや。料(はか)らざりき、一旦滄桑(さうさう)の変に遭ひて、ここに君と鼓皷(こき)の間に相見るに至らんとは。君が帰郷の後ち、世の鹿児島縣士族の暴状(ぼうじゃう)を議(ぎ)するもの皆いはく、「西郷実にその巨魁(きょくわい)たり、謀主(ぼうしゅ)たり」と。然れども有朋は獨りこれを斥けて、然らずとなせりき。然るに今かくの如し。嗚呼(ああ)また何をか言はん。

  然れども密(ひそか)に思ふに、事のここに至れるは蓋(けだ)し勢いの止むを得ざるに出でしものにて、君の素志(そし)にてはあらざりしならん。若(も)し君にして初めより真に意図(いと)を懐きしならば、何ぞかかる無名の軍をかかる機を失へる時に起(おこ)さん。薩軍の今公布(こうふ)する所を見るに、罪を一二の官吏に問はんとするに過ぎず。これ果(はた)して挙兵の名を得たりと謂(い)ふべきか。佐賀の賊まづ誅(ちう)せられ、熊本、山口の叛徒(はんと)次いで敗れ、今や天下の士民漸(やうや)くその自省(じせい)の志を立てんとす。而して薩軍突(とつ)としてここに兵を挙(あ)ぐ。これ果(はた)して挙兵の機を得たりといふべきか。君の明識(めいしき)なる、豈(あに)之を知らざることあらんや。
 
  説者(せつしゃ)また曰く、「天下の不良の徒は、西郷の山林に韜晦(とうくゎい)したるを奇貨(きくゎ)とし、これによりて功名(こうめい)を萬一に僥倖(げうかう)せんとする念を懐き、その辞を巧みにしてひたすら朝廷の政務を讒誣(ざんぶ)し、西郷に説くに、君出でずんば蒼生(そうせい)をいかにせん、君にして義兵を挙げなは天下靡然(ひぜん)としてこれに向はんとの旨(むね)を以てせしならん。君の卓識(たくしき)なる、その讒誣(ざんぶ)たるを洞察(どうさつ)するに難からざりしなるべしと雖(いへど)も、その浸潤(しんじゅん)のいたす所実に衆口(しうこう)金を爍(とろか)す勢(いきほひ)ありて、知らず識らず遂に事を挙ぐるに至りしならん」と。聞く者皆これを然りとす。何となれば、若し君にしてまことにその志ありしならば、単騎(たんき)輦下(れんか)に来りて、従容(しょうよう)として利害のある所を上言するに於て何の妨(さまたげ)もあらざるべければなり。
 
  思ふに、君が多年育成せし壮士輩(そうしはい)は、初めより時勢(じせい)の真相を知り、人理(じんり)の大道(たいどう)を履践(りせん)する才識(さいしき)を備へたる者なるべけれど、かの不良の徒の教唆(けうさ)により或はその一身の不遇(ふぐう)によりてその不平の念を高め、遂に一転して悲憤(ひふん)の念を懐き、再転(さいてん)して叛乱(はんらん)の心を生ずるに至りしならん。而してその名を問へば則(すなは)ち曰く、西郷の為にするなりと。情勢(じゃうせい)既にここに至る。君が平生(へいぜい)故舊(こきう)に篤(あつ)き情は、空しくこれを看過(かんくゎ)してひとり餘生(よせい)を完(まった)うするに忍びざりしにならん。されば、君の志はじめより生命を以て壮士輩(さうしはい)に與(あた)へんと期せしに外ならざりしならん。君が人生の毀誉(きよ)を度外(どぐゎい)に置き、天下後世(こうせい)の議論を顧みざるもの故(ゆえ)なきにあらず。嗚呼(ああ)君の心事(しんじ)まことに悲しからずや。有朋ここに君を知る深きが故に、君が為に悲(かなし)む心また切(せつ)なり。然れども事既にここに至る、これをいふことも何の益(えき)かあらん。
 
  顧(かへり)みれば交戦(かうせん)以来既に数月(すうげつ)を過ぐ。両軍の死傷日々幾百なるかを知らず。朋友(ほうゆう)相殺(あひころ)し骨肉(こつにく)相食(あひは)み、人情(じんじょう)の忍ぶべからざるを忍びぬ。かかる戦(たたかひ)の如きは古来例なき所なり。而して戦士(せんし)の心を問へば、共に寸毫(すんがう)の恨(うらみ)あるにあらず。ただ王師(わうし)はその職務の為に、薩軍(さつぐん)はその帥(すゐ)西郷の為に戦ふといふに過ぎず。夫れ一国の壮士(さうし)を率ゐてよく天下の大軍に抗(かう)し、激戦数旬(げきせんすうじゅん)、百敗撓(たゆ)まざるもの、既に以て君が威名(ゐめい)の実を天下に示すに足れり。而(しか)して今や君の麾下(きか)の勇将(ゆうしゃう)概(おおむ)ね死傷し、その軍威(ぐんゐ)日々に衰(おとろ)へんとす。薩軍(さつぐん)の遂に志を成すこと能はざるは既に明(あきらか)なるにあらずや。君更に何の望む所ありてか徒(いたづら)に死線(しせん)を事とせんとはする。若し人の西郷は事の成らざるを知れど、暫(しばら)くその餘生(よせい)を永くせんが為に、敢(あへ)て千百の死傷を両軍より出すを辞せざるなりといふ者あらば、有朋これに對(むか)ひて何とか答へん。

  願(ねがは)くは君早くみづから図(はか)りて、一はその挙の君が素志(そし)にあらざるを明(あきらか)にし、一は両軍の死傷を明日に救ふ計(はかりごと)をなせ。嗚呼(ああ)、天下の君を議する実に極(きはま)れりといふべし。国憲(こくけん)の存(そん)する所おのづから然らざるを得ずといへども、思ふに君の心事(しんじ)を知るものひとり有朋のみにあらざらん。然らば何ぞ公論(こうろん)の他年(たねん)に定まるなきを憂へん。故舊(こきう)の情、有朋切にこれを君に冀望(きばう)せざるを得ず。書に対して涕涙(ているゐ)雨の如く、言はんと欲することを悉(つく)す能(あた)はず。君少しく有朋が情懐(じゃうくゎい)の苦を察せよ。
 
 

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