広重の八景物



 
 
 
 
 
 

 八景物とは、元々中国の北宋の時代(11世紀〜12世紀)に成立した画題である「瀟湘八 景(しょうしょうはっけい)」に倣(なら)った八種の風景を描いた浮世絵のことである。元となった瀟湘八景とは、中国湖南省の洞庭湖の南、瀟水,湘水とい う2つの河川が流れ出るあたりから、四季・四時に応じた八つの印象的な風景を選び取ったものであり、次の八つである。
平沙落雁(へいさらくがん)         秋の雁が鍵になって干潟に舞い降りてくる風景
遠浦帰帆(おんぽきはん)          帆掛け船が夕暮れに遠方より戻ってくる風景
山市晴嵐(さんしせいらん)         山里が山霞に煙ってかすみ見える風景
江天暮雪(こうてんぼせつ)        日暮れの河の上に舞い降る雪の風景
洞庭秋月(どうていしゅうげつ)   洞庭湖の上にさえ渡る秋の月
瀟湘夜雨(しょうしょうやう)         瀟湘の上に夜もの寂しく降る雨の風景
煙寺晩鐘(えんじばんしょう)     夕霧に煙る遠くの寺より響いてくる晩の鐘の音
漁村夕照(ぎょそんせきしょう)  夕焼けの中のうら寂しい漁村の風景
 これらの八つの特徴的な風景は、モデルを洞庭湖の南にとりながら、「漁村」「山市」「遠浦」といった普通名詞 を使ったものであったところから、実在の風景からは切り離された、いわば観念的な風景のセットとして捉えることが可能であった。このため、鎌倉時代末期に 「瀟湘八景」の水墨画が日本に伝わった後、最初は「瀟湘八景」そのものが日本の画家によって模倣されたが、その後は日本の風景の中に、この八つの風景の セットを探し出すことが知的な遊びとして、また画題の発見として行われるようになった。

 そのもっとも代表的で有名なものが、「近江八景」である。これは、洞庭湖を琵琶湖に変え、それそれの風 景を実在の近江の風景に「見立て」たものである。この他には、三浦半島の金沢文庫あたりの風景から八景を選んだ「金沢八景」も有名である。

 歌川(安藤)広重は、有名な「東海道五十三次」を出したすぐ後に、「近江八景」を描いている。その後 は、ある意味で江戸近郊専門の風景画家として、きわめて身近な場所に、様々な「八景」を「発見」していった。これは誰か有名人の見立てによる近江八景のよ うな例と違い、江戸市民にとっておなじみの、逆にいえばごくありふれた景観を、八景というキーワードで新たに見直して、再構成したものといえる。その代表 的なものが広重の最高傑作の一つとされる「江戸近郊八景」である。下の表でリンクになっているものは、実際の画像を見ることができる。(*印付きのリンク は、アダチ版画のHP内の画像へ のリンク)是非とも実際にご覧になって、同じ画題を広重がそれぞれどう料理したかを確かめてみて欲しい。

 なお、広重の最初の八景物は、「外と内 姿八景」という、やや異色の八景物である。これは、美人絵(吉 原図)を八景に見立てたもので、鈴木春信の「座敷八景」に通ずるものがあり、さらには「帰帆」を「妓はん」にかけたりと、言葉の遊びまで入っている。他に も、名所江戸八景も美人画と風景の組み合わせになっている。

 下記のリンクのうち、近江八景については、1997年4月末に実際に近江の地を訪れて、現在の姿を写真 に撮ってある。広重の絵と比べてみるのもまた一興と思う。
 
 
 
名称
瀟 湘
八景
近江八景之内
外と内 姿八景
隅田川
八景
金 沢
八景
江戸近郊
八景之内
東都
八景
江都八景(注1)
東都司馬八景
名所江戸八景
年代
11〜12C
1834
1821
1834
1836
1838
1839
1852?
1839
1844頃
落雁
(らくがん)
平沙
落雁
 堅田落雁
田甫の
落雁
渡場
落雁
平 潟
落 雁
 羽根田
落雁
不 忍
落雁
飛 鳥落雁
 御 殿山之落雁*
 ?
帰帆
(きはん)
遠浦
帰帆
 矢橋帰帆
九あ けの
妓はん
 吾妻橋
帰帆
乙 舳
帰 帆
 行徳帰帆
佃 嶋
帰 帆*
佃 島帰帆
 高輪帰帆
 佃の帰帆
晴嵐
(せいらん)
山市
晴嵐
 粟津晴嵐
まかきの
情らむ
 真乳山
晴嵐
洲 崎
晴 嵐
 芝浦晴嵐
洲崎
晴嵐
洲 崎晴嵐
 白銀晴嵐
 ?
暮雪
(ぼせつ)
江天
暮雪
 比良暮雪
ろうかの
暮雪
 三 囲
暮 雪*
内 川
暮 雪
 飛鳥山
暮雪
両国
暮雪
墨 田暮雪
愛 宕山
暮 雪*
浅 草の暮雪*
秋月
(しゅうげつ)
洞庭
秋月
 石山秋月
桟橋 の
秋月
 木 母寺
秋 月*
瀬 戸
秋 月
 玉川秋月
高 輪
秋月
品 川秋月
 田町秋月
 ?
夜雨
(やう)
瀟湘
夜雨
 唐崎夜雨
格子の
夜雨
真崎
夜雨
小 泉
夜 雨
 吾嬬社
夜雨
真乳
夜雨
真 乳夜雨
 赤羽根之夜雨
 ?
晩鐘
(ばんしょう)
煙寺
晩鐘
 三井晩鐘
衣々の
晩鐘
 金竜山
晩鐘
称 名
晩 鐘
 池上晩鐘
上野
晩鐘
不 忍晩鐘
 山縁山
晩鐘
 ?
夕照
(せきしょう)
漁村
夕照
 瀬田夕照
座敷の
夕せう
今戸
夕照
野 島
夕 照
 小金井橋夕照
浅艸
夕照
両 国夕照
 神明夕照
 ?

注1:江都八景→いわゆる天童広重と呼ばれるものと同様の広重の珍しい肉筆画の中の1種。八景の場所の選 択が東都八景にかなりの部 分一致している。馬 頭町広重美術館 の「広重肉筆名作展」より。


追記: 2001年8月16日:

 先日、浦上コレクション、(旧)チコチンコレクションの浮世絵収集で知られている、山口県立萩美術館・浦上記念館を訪れることができた。そ この売店で、広重の新たな八景物の絵はがきを入手することができたので、紹介してみたい。
 

名称: 東都雪見八景
成立年: 1850年頃
内容: 
 
高輪
夜の雪
洲 崎
雪の朝
両国
雪の 夕暮れ
目黒不動
境 内
隅田川
堤 の景
上野東叡山
不 忍池
霞ヶ関
の 雪上がり
浅草
金龍山
 これらの八景は、既に瀟湘八景の八つの主題からは離れた独自のものとなっている。季節は雪景なので、当然冬に 限定される。それでも、時間的には朝、夜、夕暮れといった広がりがある。選択された八箇所は、広重ファンなら既におなじみな場所が多く、デジャビュ(既 視)感を伴う。また、当然のことながら、東都八景、江都八景との場所のだぶりも多い。その中で、目黒不動が選ばれているのがやや珍しい。「霞ヶ関の雪上が り」は、同じ場所とアングルのものが、「名所江戸百景」の「霞がせ紀」 にもあるので、比較してみるのも一興と思う。

金沢文庫から称名寺の庭を見たもの
  追記: 2005年11月3日:

 
 川崎に引っ越したのをきっかけに、金沢八景の一つである称名晩鐘を訪れ、称名寺境内にある金 沢文庫で沢八景の絵葉書を購入できた。これまで神 奈川県横須賀三浦地区行政センターのHPの中の画像にリンクさせていたものを、スキャンした画像ファイルに置き換えた。
  余談になるが、金沢文庫に抜けるトンネルの中から称名寺の庭園を見ると、実に広重好みの構図になる。右の写真がそれであるが、ちょっと亀戸梅屋敷みた いだ。


  追記: 2006年1月3日:

  
馬頭町広重美術館を訪問した。残念ながら広重の肉筆画は富士十二景など、一部しか展示されて いなかった。しかしながら画集を手に入れたので、同美術館のHP内の画像へのリンクを、スキャンした画像に置き換えた。色合いがそのHPのものとはかなり 異なって見える。

 追記:2006年1月4日:

  
石山秋月の構図をめぐる論考に、画像を2枚追加。
 


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