メンタイコの語源について2


 
 
 メンタイコ(明太子)の語源であるが、その後北海道のタラコ屋さんのホームページ(その名も、tarako.com)で質問したところ、以下の貴重な語源情報をいただいた。
 
「李朝太祖の時代に咸鏡道明川の漁夫太某が、延縄で珍魚を釣り、その名がわからぬので、郡主に持ち行き相談したところ、明川の漁夫の姓のとを合わせて、明太魚と名じた。」
樋口忠次郎記北海道倶楽部朝鮮三題より
 つまり、朝鮮で生まれた漢字語であり、「明」と「太」と元々まったく関係がないものを組み合わせたものであるというのだ。この説が正しいならば、「明太」という漢字語がまず朝鮮で生まれ、それが中国に入って「ミンタイ」という発音に転化し、それがロシア語に入り、また日本語に入ったということ考えるのが自然である。 この説は、「明太」という語の漢字の結びつきの意味の無さをそれなりによく説明している、と評価できる。

 その後、さらにWebを検索して、福岡の明太子屋さんのページにも同様の情報があることがわかった。

 また、「朝鮮の食べもの」(鄭大声著、築地書館、1984)という本の中に、かなり詳しく語源について書いてあった。その本では、17世紀半ばの李朝時代に観察使として赴任した閔(ミン)という人がこの魚を食べ、その名を地元民に聞いたが、誰も知らなかったため、明川(ミョンチョン)郡の「明」と、魚をとった漁師の名前「太」をとって「明太」と名付けた、となっている。

 2つの語源説明で、単語の成り立ちの説明が同じであるのに、登場人物が微妙に違うところが興味深い。なんとなく、後からそれらしく作った話という気もしてならない。実際には、スケトウダラ自体は、17世紀よりも前から朝鮮半島で大量に消費されていたものらしく、それまで何も名前がなかった、というのも変である。また、この本によれば、他の名前として北魚(プゴ)、冬にとれるものを冬太(トンテ)、春にとれるものを春太(チュンテ)、また方言として、鮮太(ソンテ)、網太(マンテ)、江太(カンテ)、杆太(カンテ)などがあるという。いずれも共通しているのは「太」(テ)の字と音である。また、しばしばスケトウダラと混同されがちな同じタラ科のマダラは、韓国語・朝鮮語では「大口」(テグ)という。「明太」の「太」は激音であり、「大口」の「大」は平音であるという違いはあるが、「t音」という意味では共通である。日本語も「タラ」で「t」音である。また、日本語で「スケソウダラ」「スケトウダラ」と言うが、これらの語源としては、「スケトウダラ」が先に成立し、その由来として元は佐渡でたくさん取れたので、「佐(スケ)+渡(ト)」にちなむものだとか、大量に捕れるので、網を巻き上げるのに「助っ人」が必要だとかの説があるらしい。ここにも「t音」が含まれていることに注目すべきだと思う。

 ここで、仮説としては、「テ」というのがこの魚を一般的に表す語としてまず広く存在し、「明太」は明川郡の名産の「スケトウダラ」ぐらいの意味ではないのだろうか、というのを提示してみる。この「テ」という言葉自体が、ベーリング海沿岸など、もっと北から来たのではないかという説も、個人的には捨てがたい。(「北魚(プゴ)」という言い方が朝鮮・韓国語にあることに注目。)さらには、「テ=太」を中国式には「タイ」と読むわけだが、日本の「タイ=鯛」となんらかの関係があるのかもしれない。

 さらに、参考情報として、上掲の「朝鮮の食べもの」の作者が、別の本(農文協、「韓国家庭料理入門」)に書いたコラムによれば、韓国・朝鮮語には、大量に捕れるいわゆる大衆魚には、語尾に「チ」がつくものが多いという。(カタクチイワシ=メルチ、ウルメイワシ=ヌンチ、カワハギ=チュチなど)この「チ」と「テ」も何か関係があるのではないだろうか。


 なお、余談であるが、最近日本に向けて発射されたとされ大きな問題となったテポドンミサイルであるが、その名前はこの咸鏡北道明川郡にある地名「大浦洞」(テポドン)にちなんだものであり、発射基地もこの地にある。もろんこの「テポドン」の「テ」は魚の名前なんかではない。
 
 

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