羽入−折原論争への
応答−−−門外漢による「貧者の一灯」
t-maru
2004年4月5日
t-maru
と申します。この度、xxxx氏よりご快諾を賜り、本論
争に拙文を寄稿させていただくことになりました。最初にお断りしておきますが、私は現在「職業としての学問」に従事しておりません。現職はあるソフトウェ
ア会社での開発・企画であり、直接にも間接にもヴェーバー研究とは無関係です。
そのような門外漢が参入する理由は、大学時代の経歴にあります。私は、1986年3月にxx大学教養学部教養学科第二「ドイツの文化と社会」(以下
「ド
イツ科」)を卒業しました。大学入学から卒業までの4年間、1年の時は一般教養の社会学講義(デュルケームとヴェーバー)、2年の時は全学一般教養ゼミ
(「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」{以下「プロ倫」と略}を含む宗教社会学)、そして3〜4年の時は大学院と共同の社会学演習(「経済と
社会」再構成)という具合に、通して折原浩氏(「先生」と呼ぶべきですが、論争の両者に公平性を保つという意味であえて「氏」と呼ばせていただきます)か
らヴェーバーについての教えを受けました。また、もう一方の羽入辰郎氏においては、「マックス・ヴェーバーの犯罪」(以下、「犯罪」本)の著者略歴によれ
ば、私が卒業した3年後の1989年に、同じドイツ科を卒業しておられます。一般的に言えば羽入氏が私の後輩ということになりますが、氏は他の大学を卒業
後改めてxx大学に入学し直されたらしい篤学の士であり、年齢も筆者より8歳上です。(直接の面識はありません。)
つまり、羽入氏については、同じドイツ科出身で、同じくヴェーバーを何らかの研究の対象にしたもの同士(Genossen)です。また、折原氏につい
て
は、そのヴェーバーについて教えていただいた、まさに恩師です。その意味で、私は第三者による客観的なジャッジ、ということにはまるで資格がありません。
ですが、一部なりとも両者に関わりを持つ人間として、証人の役割を果たすことは可能かと思います。
本論に入る前にまず宣言させていただきますが、そのような中間的な立場にあるといっても、私は羽入氏の側に立つつもりは毛頭なく、100%折原氏側に
立
ちます。「弁護側の証人」の役割を微力ながら果たせれば、と思っています。というか、羽入氏の略歴を見るまでは、自分のホームページに折原氏への応援メッ
セージを載せれば十分と思っていました。(この特別弁護人は18年前と何ら変わらず、証人の助けなど必要としないくらい、有能かつ強力な方なので。)しか
しながら、羽入氏の略歴を知った後は、何か自分の「知のバックグラウンド」が侵されているような感を受け、羽入氏との意見の違いを表明したい、という衝動
に駆られました。そのことが本論考寄稿の直接の動機です。
前置きが長くなりました。弁護側の証人として、特別弁護人に協力するにあたり、私なりに3つのフェーズを考えました。
- 事実そのものについての議論→羽入氏が指摘する事実が本当にそうであったかということを争うフェーズ
- 事実をどのように解釈するかということ、犯罪の表象で言うなら、どのような法概念を適用すべきか、とい
うことを争うフェーズ(たとえば「殺
人」なのか「正当防衛」なのかということ。)
- いわゆる情状酌量のフェーズ、そうせざるを得なかった事情の考慮。
もとより、私はすでに多くの人が指摘されているように、羽入氏が指摘する点が仮にすべて事実であったとしても、何らの意味でも犯罪を構成するよ
うなもので
ないのは明らかであり、上記の各フェーズは、羽入氏の空想的な議論のレベルに形だけ合わせる、ということでしかありません。
まず1.の事実について。事実といっても、残念ながら羽入氏が細々と指摘する「自称文献学」的発見について、その一つ一つを検証できる状況にはありま
せ
ん。上記したように、一般企業勤務の身では、大学在籍中には容易に利用できた、ヴェーバーの著作のドイツ語オリジナル版ですら、入手することが困難です。
また、そのような調査に時間をかけすぎることは、現在の職業に対する私自身の「職業倫理」に反する行為となります。そこで、私は、ヴェーバーの著作に対し
て指摘された事実ではなく、羽入氏自身が主張する概念の事実性を検証したいと思います。羽入氏は「犯罪」本の序文で、「ヴェーバー産業」なる概念を提示し
ます。(「犯罪」本 p.5「ヴェーバーを専門に解釈する人間と専門に解釈する書
物の出現と共に、こうしてヴェー
バー産業が成立する。」「…、これらこそがヴェーバー産業を支える心理的
需要の秘密なのである。」)羽入氏は、このヴェーバー産業について、詳細な説明を行っていません。社会学的・経済学的に、「産業」という場
合、少なくとも、
- 最低でも数十億円レベルの巨額のお金の動く市場が成立している
- 複数の経済主体(企業)がこの市場に関与して売上を得ている
- 複数の業種が同じ市場に関与して売上を得ている
というような暗黙の前提があるように思います。もっとわかりやすく、またヴェーバー社会学らしく、理念型を用いて説明してみます。「ヴェーバー
産業」とい
うものが成立している場合は、次のような状況が想定されます。もちろん理念型ですので、歴史的にまったく一致した現象がどこにも存在しなくても、問題あり
ません。:-)
「マックス・ヴェーバーが今ブームだ。書店ではヴェーバー自身の著作が
一般書にならんでベストセラーになるのはもちろんのこと、『声に出して読みたいヴェーバー』、『あらすじで読むヴェーバーの名著』、はては『蹴りたい
ヴェーバー』、さらにはマリアンネの遺稿とされる『私が愛したマックス・ヴェーバー』まで、便乗本が次々と発売され、それぞれが結構な売れ行きを示してい
る。少年ジャンプには、ヴェーバーの少年時代の父との葛藤を描いた漫画が掲載され、読者の人気投票の上位を占めている。はてはケン・ラッセル監督によっ
て、ヴェーバー映画すら企画されているという。ヴェーバーの研究者達には、企業からの『脱呪術化とコア・コンピタンス』『精神無き専門社員による経営』と
いったテーマでの講演依頼が殺到しているという。旅行社では『ヴェーバー聖地巡礼:ハイデルベルク7日間の旅』といった企画が、高価格にもかかわらず人気
を集めているという。…」
いささか悪のりが過ぎたかも知れませんが、似たような状況が約10年前に、もう一人の知の巨人「南方熊楠」についてあったのを思い出していただければ、あ
ながちカリカチュアではない理念型ではないかと思います。
さて、夢から覚めて現実に戻りましょう。ここに描写した理念型のような意味でのヴェーバー産業というものが、1/10の規模であっても成立していない
の
は、誰が見ても明らかですが、若干の数字でその事実を再確認しましょう。
次の数字は、私が2004年4月4日に調べた、amazon.co.jp
における書籍の売上げランキングです。
この順位で、それぞれ何部売れているのかは不明です。ただ、ヴェーバーの著作の中でもっとも売れている「プロ倫」が仮に年間1万冊売れていると
した場合
(これは学術系としては大ベストセラーでしょう)、その販売元である岩波書店の売上げは定価\800 X
卸率65%として、なんと!わずかに520万円。せいぜい個人の年収レベルです。羽入氏自身の「犯罪」本も、折原氏の心配をよそに、一般向けにはほとんど
売れていないようです。(私自身、近所{徳島県徳島市}の比較的大
型の書店で、羽入本を購入しましたが、その店のデータベースには確かに1冊在庫があると出ていたのに、何度書棚を見ても発見できませんでした。店
員に聞いたら、棚の下の引き出しの中にしまってあったのを出してくれました。)
もう一つ、インターネット時代ということで、Googleでの検索
ヒット数を比較してみましょう。これも調査日付は上記の amazon.co.jp ランキングと同じです。(「日本語のページを検索」で検索)
カール・マルクス |
5,510件 |
レヴィ=ストロース |
6,030件 |
"マックス・
ウェーバー" OR "マックス・ヴェーバー"
|
8,350件
|
ドゥルーズ |
9,030件 |
ハイデガー |
19,300
件 |
吉本隆明 |
19,600
件 |
ヴィトゲンシュタイン OR
ウィトゲンシュタイン |
23,700
件 |
ケインズ |
25,100
件 |
フロイト |
39,900
件 |
ここでも、ヴェーバーは落ち目?のマルクスよりはましであるものの、吉本隆明やハイデガー、ケインズ、ヴィトゲンシュタインらに遠く及ばない、
という結果
になっています。(上記結果はノイズ混じりですので、あくまで参考程度に見てください。)
結論として、羽入氏のいう「ヴェーバー産業」を私は確認することができませんでした。折原氏の批判によれば、羽入氏はミクロレベルの問題で「偽問題」を
設定して一人相撲を取っている、ということでしたが、マクロレベルでも同じことが言えます。(あるいは、ルター原典主義に拘泥するあまり、その精神といつ
しか神秘的合一を果たし、ありとあらゆる「産業」を "auri sacra fames" として毛嫌いするようになったのでしょうか…)
続いて、2.の事実の解釈、という弁護証言に移りたいと思います。羽入氏は、ヴェーバーが英語聖書における calling
の意味用法について、ほとんどOED(の前身)しか見ていなかったのではないかと、と指摘しています。これが事実かどうかはひとまず置いておくとして、羽
入氏は「広辞苑の用例だけに依拠して、ある語とある語の影響関係を論じ、それを論
文にまで仰々しく書く国語学者が我が国にいるであろうか。いるとすればそんなものは国語学者ではない。」(上掲書
p.44)という譬えを用いて、ヴェーバーを糾弾しています。私は、この譬えに、羽入氏の(1) 詐術 あるいは (2) 無知
を感じます。なぜなら、OEDと広辞苑は辞書のレベルとして、どのような意味でも同列に論じるべきものではないからです。OEDは完成までに70年
を要した、全12巻からなる「『大』辞典」です。それに対し、広辞苑は1冊からなる「『中』辞典」です。その内容についても、売れているわりには大したも
のでないことは、日本語関係者(私を含めて)なら誰でもわかっていることです。羽入氏がこの差をわかっていて、あえてOEDをより価値の低い広辞苑に置き
換えて譬えたのなら、それは読者を騙す「知的に不誠実な」詐術です。また、無知からOEDと広辞苑を同列に扱ったのなら、氏は初歩的な辞書学の知識も持ち
合わせておらず、文献学がどうの、ということを語る資格はありません。羽入氏に代わって、適切な譬えを作れば、OEDに匹敵するものとして日本では「諸橋
大漢和辞典」を挙げることができます。(「『大』辞典」の国語辞典としては、小学館「日本国語大辞典」がありますが、この内容も残念ながらOEDには遠く
及ばないと思います。)この大漢和辞典は、漢字の本家中国でも高く評価されており、学者が(中心的でない論の)論拠にこの辞書を用いても、非難されること
はまずありえません。
さらに付け加えれば、このOEDは1896年にようやく "c"
の項である第3巻までが刊行されています。つまりは、ヴェーバーが「プロ倫」の研究を進めていた時期にぎりぎり "calling"
の項が間に合った、当時としては最新の研究成果が反映されたリソースでした。また、OEDの中心的な編集者ジェームズ・マレー博士の言語的学識について簡
単に紹介してみます。「アーリア語族およびシリア・アラビア語族の言語と文学に通じ、(中略)ロマンス諸語のうち、イタリア語、フランス語、カタロニア
語、スペイン語、ラテン語には詳しく、そこまではいかないものの、ポルトガル語やヴォー州方言、プロヴァンス語、その他さまざまな方言の知識もあります。
(中略、以下身につけた言語)オランダ語、ドイツ語、フランス語、フラマン語、デンマーク語、古英語、モエシアゴート語、ケルト語、ロシア語、ペルシア
語、サンスクリット、ヘブライ語、シリア語、アラビア語、コプト語、フェニキア語…」(早川書房、サイモン・ウィンチェスター著、鈴木主税訳、「博
士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話」p.51参照。紹介したのは、マレー博士が30歳の時に大英博物館に出した就職希望の手紙の一部、t
-maruが抜粋編集)という、ヴェーバーですら裸足で逃げ出す超人的博学の人なのです。ヴェーバーがマレー博士が編集したOEDの前身に主要な論点でな
い部分の
論拠を負い、しかもたまたまその部分に誤りが含まれていたとしても、知的誠実性という意味で強く非難されるようなものではないことはおわかりいただけると
思います。
最後に、3.の情状酌量についてです。情状酌量といっても、別に私はヴェーバーが罪を犯したとはまったく思っていません。ただ、ヴェーバーの論文を読
む
にあたっては、折原氏が指摘する「研究の経済」という観点とは別に、「レトリックの要請」という点を考慮すべきと思います。(ヴェーバーの論文に限りませ
んが)
どのような科学論文であれ、想定する読者に「理解」を求めるために、有効な手段として「共通の知識=トポス(ドイツ語では
Gemeinplatz)」を元にし、その共通の知識からスタートして、論述を進めるということが行われます。ヴェーバーの「プロ倫」論文にも、明文化さ
れていませんが、たくさんのトポスが存在します。いくつか挙げてみれば、
- ドイツ語では、「Beruf=職業」は誰でも知っている非常に当たり前の言葉(語義)です。Was
sind Sie von Beruf
? あるいは Was sind Sie beruflich ?
(あなたのお仕事は何ですか?)という表現は、ドイツ語の会話練習帳のかなり最初の方に登場します。(私がゲーテ・インスティテュートで使用していたある
本では、全252ページの中で、7ページ目に早くも登場します。)従って、ドイツ語を母語とする人間にとっては、「rufen =
呼ぶ、召す、から派生したBerufが何故職業という意味になるのだろう?」は一度は考えた問題であろうということになります。従って、この言葉の起源か
ら論をスタートすることは、読者の興味を引き自然に論理展開に導くのに好例であるということです。(これに対し、英語の"calling"は現在では日常
会話に「職業」の意味で登場することは稀です。)
- また、現代のドイツ語が、その多くをルターの聖書翻訳に負っていることは、これまたドイツ
語を母語とする人間にとっては常識で
す。従って、I.の答えを求めるのに、まずルターに言及するのは非常に自然な流れであるということです。
- プロテスタンティズム諸派にとって、聖書は唯一の信仰のよりどころであり、聖書の意味を自分で考えるこ
とが常に求められています。このため、
聖書翻訳はルターに始まった後も、その後も延々と続いている作業となっています。(現在においてもなお、"Die
Gute Nachricht"という「現代ドイツ語」訳新訳聖書が存在し、改訂が続けられています。)
こうした、背景となっているトポス的知識を考慮すれば、ヴェーバーの論理展開はきわめて自然であり、読者にBeruf概念の確認をしてもらうのに、オ
リ
ジナルに近いルター聖書ではなく、入手しやすいその当時の最新改訂版を用いたとしても、何ら不思議ではないと思います。問題とすべきなのは、
- ルター以前にこのようなBeruf概念が存在していないこと
- それを最初に打ち出したのがルターであること(歴史における転轍手の役割)、それが思想的裏付けに支え
られていること
- ルター以降の聖書改訂作業でこの概念が定着し、現在(その当時)の聖書ではBeruf=職業概念が確立
していること
であり、この3点についてのヴェーバーの論証には無理がないと思います。ただ、一人羽入氏のみが、「ルター原典主義」のような自分勝手な規準を
打ち出し
て、その整合性を問題にしているように読めました。
ただし、この「トポス」については、残念ながら羽入氏の言うヴェーバー著作の「読みづらさ」の原因にもなっていることも公平に認めるべきでしょう。
ヴェーバーがいかに広い視点をもって論文を書いたとしても、100年後の異国の読者までは考慮していない、ということです。たとえば、今回、典型例として
大塚訳の「プロ倫」に発見した「不適切な訳語」を紹介します。岩波文庫版のp.87、p.118の2箇所の注に「年金売買(レンテンカウフ)」という訳語
が登場しますが、間違いとまでは言えないまでも不適切な訳語だと思います。(「年金」と言っても、Pension=退職者への定期給付金、のことではあり
ません。)この語は原語綴りでは、 "Rentenkauf"
であり、あえて訳すなら「地代徴収権売買」となります。教会法で利子付きの金銭貸借が禁止されていたところから生まれた「裏道」であり、土地を担保にお金
を借りる際に、利子ではなくて、永久に地代を徴収する権利を設定し、それを付けてお金を借りやすくしたものです。この場合、地代をいくら払っても元本の償
却にはならず、借金を返した後も、永久に地代を払い続ける必要がありました。("Ewiggeld"=永久金)
これはどのような意味でも利子とは違うので、教会法の規制を受けませんでした。(この "Rentenkauf" についての詳しい説明は、世良晃志郎
氏の訳した、ヴェーバーの「法社会学」の世良氏による注釈の中にあります。p.173の訳注(五)を参照。)
この "Rentenkauf"
は、当時の社会学者や経済学者には、ほぼ通じるトポスでした。その証拠に、ヴェーバーの死後約3年後に起きた、ドイツの歴史的に有名な大インフレーション
にて、そのインフレを克服するために作られた「レンテンマルク」という新しい通貨が、まさにこの "Rentenkauf"
の仕組みを「本位」として利用した通貨だった、ということが挙げられます。(レンテンマルク="Renten"mark
です。)しかしながら、当然現在の我々にはこのトポスは通じません。ヴェーバーを通読する際には、やはり適切な指導者の下でそれを行うのが望ましい、とい
うことになります。そのことを称して羽入氏は「ヴェーバー産業」というわけですが、ここまで読んでいただいた方には、なにをか言わんや、であることは明白
でしょう。
最後に、今回の論争の主役2人の因縁めいたエピソードを紹介して、拙論の締めの代わりとします。羽入氏は、「犯罪」本の扉にて、「前途有望な未来を前に
して、XX大山中湖事件で亡くなった五人の霊に」と書かれています。この山中湖事件とは、20年前の1984年4月に、XX大の2年生が主催した、
新入学生に対しての大学生活へのオリエンテーション(説明会)の山中湖合宿にて起きた事故です。酒に酔った学生数人がボートを漕ぎ出し転覆して、冷たい湖
水中に投げ出され、5人が死亡しました。当時、未成年を含む学生が酒に酔って騒いでの事故であるということで、マスコミの批判が集中しました。当然大学内
でも学生の自治の制限という案が出ていました。そうした動きに対し、折原氏は「学生の自治を制限すれば、ますます学生が未熟になってしまう」と常に学生側
をかばうような発言をされていました。もし、羽入氏がこの事故に何らかの形で関与されていたのであれば、知らないところで折原氏の弁護を受けていたことに
なります。それが20年経って今度は厳しく糾弾される側になっており、私は何とも言えない運命の皮肉を感じます。
色々と私なりの意見を書き連ねましたが、羽入氏の語学力、調査力、文章構成力には、卓越したものがあります。惜しむらくはその能力を「批判のための批
判」に使われるのではなく、より生産的な方向に活用されることを願ってやみません。長々とお付き合いいただき、有り難うございました。
以上
(2004年4月05日記)